2009年3月の記事一覧
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ガラスシェードを掴む部品で「ギャラリー」と読んでいるものがあります。弊社の場合はたいていの場合この別売りされている部品を取り付けて、そのうえでガラスシェードを取り付けますが、日本製の器具の場合、あるいは外国製の照明でもかなりのパーセンテージのものは、この部品が本体と一体になっていて、取り外しはできません。
そんな違いはありますが、この大きさは見事に世界標準サイズになっているのです。驚いてしまうのは、たとえば和骨董などであつかわれている照明器具(古い日本製かと思いますが)でも、同じサイズのギャラリーが合うのです。
先日、アンティーク好きのお客様がガラスグローブに房のついた、どこから見ても"和"テイストの照明器具を修理希望ということで持ち込まれました。見たとたんにお断りしよう、と思ったのですが、なんと私どものヨーロッパ風ギャラリーがぴったりだったので、ついに房を取ってしまって、今ではみごとに西洋風アンティークに生まれ変わってしまいました。
それもこれも、すべてはガラスの留め口のサイズに、西洋・東洋の差が無かったのが幸いしたわけです。いったいどんな経緯でそうなったのでしょうね。不思議なことです。
ホームページの更新、カタログへの掲載などの目的で、照明器具の撮影をする機会が数多くあります。
でも、何が難しいと言って、照明器具の撮影ほど難しいことはありません。蛍光灯の光がいっぱいだと青白く写ってしまいますし、かといってあまり白熱灯の光がきついと全体がオレンジ色になります。日光を取り入れすぎると点灯の様子がよくわからない、ということにもなります。
結局ある程度そういった結果になることを覚悟してから、それでも調光器などを使いながら慎重に撮ったあとは、最後に写真加工をして見やすくしてから完成させます。
なんて言いながら、本日某お客様からお送りいただいた写真は実に綺麗に撮れていました。私たちが毎日苦労しているのに・・・と思いながら。
まもなく施工例写真集に載ると思います。乞うご期待!
ロウソクであれ、その前の時代の油皿であれ、風よけの工夫が必要でした。西洋では主にガラスを使います。はじめは透明の筒状のガラス、それからそれに装飾や形状のバリエーションが加わりました。ランプの時代には、風よけの目的のほかに、風の道を作る(=それによって炎の勢いを大きくする)目的にもなりました。
一方、日本では、同じ目的のために、木や竹で箱状のものをつくり、それに和紙を貼ってそのなかに火を入れました。行灯といわれるものです。それが派生した提灯も作られ、家の中はもちろん、外に持ち出して使用しました。外のものには、油紙を使います。
和紙を使った照明器具も近頃作られたり使われたりしています。行灯ほどの趣はありませんが、ガラスには到底表現できない美しさがありますね。
一昨日『影絵』のお話をしました。
上海を舞台にした、たしかチャン・イーモウの映画のなかに、その影絵の場面が出てきたように記憶しています。(ちょっと自信がない・・・けど)
で、チャン・イーモウといえば、いまの中国で最高の映画監督だと思うのですが。(正確に言うと、少し前までは。「HERO」とか「LOVERS」になると、全く興味は無くなってしまいました。)「紅いコーリャン」「初恋の来た道」そして私のベスト オブ ちゃん・イーモウ は、「あの子を探して」です。観ていないかた、どうぞ一度。必見ですよ。
そんなチャン・イーモウが昨年の北京オリンピックで大活躍したのはご存知でしょうか。
そうです、あの開会式を演出したのが彼です。長くってちょっとうんざりしながら、でも、彼の「デジタル」っぽい「アナログ」演出にはびっくり。あのハンコのなかに人間が入っていようとは・・
そんな彼が『光』に関してどんな演出をするかに注目していましたが、やはりこの部分のほとんどがアメリカナイズされた、というか中国の人が大好きな華々しさによる演出でした。花火の量が凄かったせいもあるのでしょうが、とにかく派手でしたね。
でも、わずかに印象に残っているのは、最後に一人のランナーを宙に吊り上げて、彼がスクリーンに映った世界の景色をバックに走るところです。そのとき私は一瞬、例の『影絵』の雰囲気を思い出すことができました。チャン・イーモウにもそんな意図があったのでしょうか・・・ (こじつけかな?)
中国の映画のなかで、中国の伝統的な影絵が出てくるものがありました。最近のドキュメンタリーを見て、それがまだ実際に活躍していることも知りました。
私たちが知っている影絵は黒い影とそうでない白い地の2色なのですが、その影絵には色が入ります。色板を切って人形その他のものを作成していて、ロウソクの光が色板を通して白布に映り、それを観客は反対側から観ています。人形は白布から遠ざけられたり近づいたりしながらストーリーと演奏にのって演技します。
白布に近づいたときには色がはっきり出てきます。要するにステンドグラスの光を楽しんでいるとき、そのステンドグラスの表面に布を被せたようなかんじになっているわけです。
布を通しているからでしょうか、それとも、もとの光がロウソクだからでしょうか、不思議な透明感と揺らめきが、より一層その美しさを引き立てているようです。
一度実際に見てみたいものです。
コンコルディア照明では、特徴のあるガラスシェードをいっぱい用意しています。
で、そのなかには残念ながらちょっとしたキズがあったり、少し欠けていたものを修理したあとが残っているものがあります。吊ったりすればまったく分からない、あるいはブラケットで使って傷の付いた方を裏側にまわせば全然分からない、といったものがいくつかあります。そんな商品を私どもは、「ワケアリ」として、別にご案内しています。
もちろん、お客様の多くは、たとえ見えなくてもそういったガラスシェードを使いたくない、とおっしゃいます。でも、せっかく手作りで製作された商品です。もしも使ってもいいよ、と言っていただけるのであれば、ちょっと廉価で販売させて頂きます。
ご興味のある方はメールでお問合わせください。リストを差し上げます。
私どもの照明器具をお買い求めになる方の多くが新築または改築の方です。複数の照明器具をご購入され、それを現場にお届けするときに私たちが注意するのは、どの器具がどこに設置されるか、を電気工事のかたに分かるように明記することです。
国内メーカーさんの照明器具にはそんな表記は通常されませんが、注文なさるのが普通は電気屋さんですので、どこに設置するかは前もって承知されているでしょう。また、現場でなく、購入されたお客様の手元で確認いただいたうえで現場に持ち込まれるものであれば、やはりそんな心配はないのですが。
実際にとりつける電気屋さんにも気をつかいませんと、ね。
今日、久しぶりにスワロフスキーのクリスタルをまじまじと見る機会がありました。相変わらず綺麗なものですね。とくにシルバー系の金具とくみ上げてあるものや、ボディー全体をガラスで製作しているものなどは、ある種近づきがたい感じすら覚えます。
でも、使い方ははっきり言って難しいですよね。同じスワロフスキーのクリスタルを使っていても、金具にちょっと真鍮がなじんだようなものが使ってあれば良いのに、と思ったり。
だって、私がいくら頑張っても、薄い絹をまとったグレース・ケリーやイングリッド・バーグマンをエスコートするのは絶対に無理でして、それと似たような印象をうけてしまうんですよね。
これがせめてジュリア・ロバーツやサンドラ・ブロックだったらもしかしてOKかな? などと思いますが。(・・・・「写真がないと思って、ウソ言うな!」・・・妻の声)
先日近所のお寺に行きました。小さいけれども有名なお寺です。
最近ここに資料館なる新しい建物ができました。軒がかなり長く(広く)とってあるのがその建物の特徴なのですが、なんとその軒の裏側に、きれいな模様が広がっています。光の反射が模様になっているようで、その理由を探すと、建物の前においてある石の水桶からのものでした。
でも、水は動いていないし、そんなに綺麗な模様が出るものかと思ってのぞくと、そこにこぶし大の石ころが敷き詰めてあります。ということは、光は水の表面だけではなく、石にも反射しているということで、その角度が違うので、美しい模様になるのでしょう。
なにげなく見えるけど実は計算しつくされた空間でした。
照明というと明るさを確保したり、雰囲気を良くしたり、とさまざまな効果がありますが、船の照明で大事なものというと、船自身の大きさを確認してもらい、またどちらに進行しているかを分かってもらうための照明です。表示灯という言い方になるのでしょうか。
右舷には緑灯、左舷には赤灯がつくことになっていますので、照明を確認するだけで、どちらに進んでいるかがわかります。相手の船の緑が左に、赤が右に見えるときには、その船はこちらに向かって進んでいることになります。その場合は国際法にのっとって、お互いの船は右に旋回して衝突をさけなければなりません。
ちなみに、飛行機にも似たようなルールが適用されているようです。
海の照明といえば思いつくのはまず灯台。船に陸地を認知してもらうためのもので、安全上の役割はもちろん、おそらく夜に航海中の船から見える灯台の光はなんともいえない安心感を与えるものだと思います。特に、昔は今のようにそこらじゅうに光が散乱しているわけではありませんでしたから。(もちろん、いまでも田舎の海岸線では同じでしょうが。)
灯台の光の歴史はやはりヨーロッパから。最初は行灯風のものにフードを被せて風よけをし、高台にのせて海から見えるようにしたようです。フードはガラスになり、光源は油から電気になります。
おいら岬の灯台守は、妻とふたりで沖行く船の 無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす ~~
(佐田啓二 主演 「喜びも悲しみも幾歳月」より)
良い映画でしたねぇ。
歳をとるとだんだん暗いところで目が見えなくなる・・・というのはよく言われることです。実験でもそのような結果がでるようです。
明るいところでは若い人と年寄りとの差はそんなに目立ちませんが、照度の低いときにははっきりと出ます。たとえば、ロウソクの光のような環境、照度で言うと100ルクスとか300ルクスということになるのですが、このあたりだと作業性になんと倍くらいの違いがでる、と言われています。
もちろん、だからと言って、歳をとったら家中を明るくしましょう、と言いたいわけではありません。年齢を重ねるにしたがって、落ち着いた環境に身をおきたいと私自身は思っています。つまり、歳をとったら、必要なところにこまめにスタンドを置いたりするのが良いのではないか、と思っています。
舞台照明というのは、一般に客席の後ろから、や舞台上部k・下部からのスポットなどが主体になり、ステージ等が始まれば客席のライトは消します。
客席でパンフレットをめくっても読めはしないし、ステージ上の人間からはお客さんの顔などほとんど見えない状態になります。その代り、ステージ上は浮き上がった感じになって盛り上がるわけですね。
ところが、落語会はちがうのです。
客席のライトは少々暗くなりますが、点灯したままです。なぜかなと思っていたら、この前落語家さんが言っていました。話の最中にお客さんの顔が見えるのは、彼らにとってとても大事なことだそうです。笑ったりないたりしている顔をみながら話も調整していくし、自分自身も盛り上がるし、そして演者と客の一体感がうまれていくそうです。
面白いものですね。
照明器具とは直接関係ないかもしれませんが、いま絵画用の照明器具(ピクチャーライト)について考えています。そのために、そもそも『絵画』はどんな高さに設置されるべきものだろうか、それに対してピクチャーライトはどのような高さにつけるものであろうかと悩んでいます。
絵画はどの位置からみても良いのでしょうか。大きな美術館に行きますと、部屋の壁の絵画にたいして、部屋の中央付近に長いすがあったりして、これに腰掛けて観ると非常に按配が良いと感じることがあります。そのときの目の高さはおよそ床上100cm。それに対して、一般的には立って鑑賞するのですが、そのときの高さは150±20cmといったところでしょうか。
目の高さが絵の中心が良いように思うかもしれませんが、どうやらそうでもないようです。なにか決まりがあるのでしょうか。
それが分からないと、ピクチャーライトの設置位置を指示することができません。
どなたか、ご存知のかた、教えてください。
先週から募集しておりました新しいスタッフが概ね決定致しましたので、本日募集を打ち切らせていただきました。多数のご応募ありがとうございました。
おかげさまでやる気のある人たちが来てくれることになりましたが、逆に未経験のスタッフが加わると、慣れるまで何かとたいへんだし、何よりもお客様にご迷惑をおかけするかも、という心配で頭がいっぱいになります。でも、それもこれも明日のクリストファー・レイ、次のコンコルディア照明にとっては乗り切らねばならない必要なステップです。むしろそれを楽しんでやっていこうと思っています。
今後とも、コンコルディア照明をよろしくお願い致します!!
このタイプの照明、じつは15年前~10年前くらいをピークに、どこでも見かけられたものでした。とにかくデパートの家具売り場に行けば、山ほど展示されていましたし、家具店や電気店でも、高価なものから廉価なものまでいっぱいありました。
でも、皆さんお気づきのように、いつの間にかすっかり影を潜めてしまい、いまやデパートでさえこのタイプのものを見つけるのは難しくなっています。
照明器具も他のインテリアと同じで流行り廃りはあるわけで、そんなことは全然不思議じゃないよ、といわれればそれまでですが、私はちょっと違う考えです。
ステンドグラスは綺麗なだけ、とても存在感があります。おおきなステンドグラスを一つ購入すると、他の調度、テーブルやカーペット、ソファなどとの釣り合いが気になってしまいます。本格的にそれを実現できれば、これほど素晴らしいインテリアもなく、思いのほか飽きもこないもので、私個人的にもとても好きなのですが、なかなかそれを実現するのは難しい。ついつい、その照明だけば浮いてしまう、ということにもなりかねません。
そんなことも、このステンドグラスのランプの人気が急降下した原因だと私は感じています。
だから、その美しさと周りとの調和を手に入れるために、いまお薦めしているのは、『小さなステンドグラス』です。ここからは宣伝になって申し訳ないのですが、このたびコンコルディア照明として新たに展開している「ステンドグラスの照明」のコーナーはそんなコンセプトでつくりました。
いくら人気が落ちても、その美しさは不滅です。是非一度、ごらんください。
ステンドグラスランプのページ
折に触れ照明というのがどんな歴史をたどってきたのかを調べてきました。今日はその枝葉の話ですが、音楽と照明について。
現在楽譜が残っていたり、楽器が残っていたりする一番古い時代はルネサンス期の音楽です。もちろんそれ以前にもあったのでしょうが、なかなか残ってはいません。
さて、そのころはどうしても教会音楽ということになるのですが、ではどうして教会なのか。
当時ロウソクでさえまだ高価だったわけで、各家庭で普通に使えるものではありませんでした。まだまだ人は夜に出歩くことさえ一般的ではありませんでした。教会でこそロウソクは使ったでしょうが、それでもロウソクをいっぱい使ったシャンデリア風のものでは決してなかったはずです。
そんなときに演奏されたり歌われた曲は静かな旋律を重ね合わせたような穏やかな曲、神に向けての祈りの曲が主流でした。
それがバロック期になると教会以外にも音楽の活躍する場が広がっていきます。夜の集会や宴会が行われ始めたのはこの時期、都会で街灯が現れたのもこの時期です。ロウソクが宮廷のシャンデリアに広がっていったり、各家庭にも入っていきました。
そしてバロック音楽です。まだまだ大きなシンフォニーなどが現れるまでには時間がありますが、それでも、ルネサンス音楽とは比べ物にならないほど派手な曲想の音楽が発達しました。祈りから、楽しみへと変化を遂げたのでしょうか。
いかがです?
音楽と照明、このように考えるとまた面白いものですね。
というのをごらんになったことがありますか?
「東の野にかぎろいのたつみえて かへりみすれば月かたぶきぬ」の歌にでてくる、あの『かぎろい』です。
空気の澄んだ夜明け前に東の空に、ブルーとも紫ともオレンジともなんとも言えない色がひろがることがあります。わたしはその一瞬のことをかぎろいと言っているのだと理解しています。(違っていたら教えてくださいね。)
十数秒ごとに趣を変えていくその様子はなんとも『確かさ』のないものですが、それだからこその美しさというものを感じさせます。
私の目の前の自慢のシャンデリアも全くたちうちできないと感じる瞬間ですね。

