2010年3月の記事一覧
←2010年2月 2010年4月→どうしても実物を見てから決定したい、というお客様のために作った、ほんとに小さいけれどもシャンデリアやブラケット、ペンダントライトなど照明器具がぎっしり詰まった,東京・銀座の展示ルーム。HPの写真だけではわからない、色合い・質感・醸し出す雰囲気などなど、隠された情報がいっぱいつまったこの小さな部屋にどうぞお越し下さい。
東京・関東以外にお住まいの方が東京においでになったときにも、ついでにご覧いただけるよう、東京駅からタクシーで5分くらいの距離に設けています。よろしければご利用ください。
予約を頂戴した方しか入ることができない、などちょっと変則的なシステムなので、案内ページをご覧いただいたうえでご予約ください。スタッフ一同、こころよりお待ちしております。
もちろん、兵庫県宝塚市の本社ショールームでも皆様を歓迎致しております。
先日は美と動物といいながら、アフリカの少年の話を書きましたが、そうなると連想するのはアスリートの美しさになりますね。
まあ、こんにち『アスリート』といわれる人たちは数多く、彼らすべてが対象ではありませんが、ウサイン・ボルトなどはその典型ですね。あれだけ速く走るために作り上げられた肉体は、やはり一言で言うと「美しい」という印象になります。
そして一方芸術家たちは昔からそういった「美」を形にとどめようとします。
ギリシャ文明・ローマ文明の時代にも数多くの彫刻が残されていますし、ルネサンス期の数々の彫刻にも眼を見張るものがあります。みなぎる筋肉を丁寧に表現しているのには驚きますが、そういった努力はすべて、上に述べたように「美」につながると考えられたからでしょう。
一方現代を見渡すと、この肉体をテーマにした「美」に関しては、すこし他の「美」に比べて分が悪いような、あるいは重きが置かれていないような気がしますが、どうでしょうか。
動物を見るとき、その造形の美しさにハッとすることがあります。
我が家に小さな座敷犬がいますが、これもほんとに美しい。トイプードルという犬種だから余計かもしれませんが、目標物を目の前にして身構えるときの角度などは、まるでトラを見ているようで美しいのです。まったく無駄な肉もなく、均整のとれたその姿というのは、おそらくアフリカの自然公園などにいくと、もっといっぱい見れるのでしょうね。
アフリカといえば、ある日ぼんやりとTVを見ていると、アフリカのどこかの町の12-13歳くらいの少年たちが学校に通う姿が映されていました。このときも、にたような感動を覚えましたね。
彼らが実に美しいのです。肌の色、目の輝き、そしてなによりもチータとか豹を思い出させるようなその肢体です。歩く姿もきれいでした。「わっ、キレイ」と声をあげたくらいです。
そして、人間はやはり動物だったのだ、と思い起こさせてくれました。
自然の持つ美しさにはさまざまなものがありますが、その中でわかりやすいのが「花」ですね。なかにはこれってどうなの? というようなものも確かにありますが、たいていは造形的にもまた色彩的にも美しく、おもわず近寄って手を差し伸べたくなります。鳥たちや虫たちも思わず寄ってしまうのでしょうが、(厳密に言うと、たとえばある虫がすべての花に近寄ることはないのだそうですが)、その気持ちはよくわかります。
というか、むしろ順序は逆なのかもしれませんね。
彼らはまず種の保存のために蜜をもとめ、実をついばむわけで、またそれが花(草木)の側にも同じ目的を達成させることになるのですね。
そんなうまく仕組まれたやり取りに、「美」が拘わっているとみるのか、あるいは我々人間の種の保存には関係がないけれども、すでに本能のなかに、それを「美」とするように規定するものがあるのか。つまり、きれいな花にふらふらと近寄るように、本能がささやいているのでしょうか。
ここ何日か仏像のことに触れました。
私は仏像がすべて好きかと問われると、答えは「否」。
これは仏を愛する人にとっては心外な言葉かもしれません。つまり、仏像そのものが信仰の対象ではないかもしれないが、それを拝むことによってその向こうの仏様と対話をするわけで、嫌いなどということはありえないでしょう。
まあ、私も「この仏像はどうしてもイヤ」という印象を持ったことはこれまでに無いとは思いますが、それでもとにかく、信仰の対象ではなく、「美」の対象として眺めていることは確かです。
キリスト教の教会でもそんな経験はあります。もちろんカトリック系の教会においてですが、たとえばバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の「美術品」は世界でも超一級品と言って良いのでしょうね。ため息がでるばかりでした。
一方、運慶や快慶、ミケランジェロたちはどんな気持ちでこれらを製作したのでしょうか。
深く深く仏様を愛し、あるいは神を愛したうえで、その愛の実現のために自分の能力をたかめ能力を使ったのでしょうか。そう思いたいけれども、もしかして、やはり自分の美の追求の発現の場として宗教を利用したのかもしれませんね。(もちろん、お寺や教会もその美術品をネタに信者を増やせたでしょうが。)
同じく三月堂の話題から、つづき。
三月堂の日光・月光菩薩と四天王を眺めていると、どうしても必ず訪れてしまうのが、戒壇院戒壇堂の四天王、なかでも人気の広目天はやっぱりすごい。
あの目で見つめられると、「ああ」とため息をついてから、つぎに出てくる言葉は 「そうですよね」とか、「わかりました」とか。まったく降参状態になります。でも気持ちいいんです。
増長天や、それに持国天、多聞天 も良いです。
さらに、それぞれに踏みつけられている邪鬼が良い! 踏みつけられているのに、私はいつもなんとなくうらやましい気がする。踏まれたいということではなく、いつも一緒にいられることに対してですが。
東大寺三月堂の日光・月光菩薩がひっこしされるとの話題、続けます。
どうしても思い出されるのは、聖林寺(奈良 桜井市)の十一面観音様です。本当に美しい。大学生のときに初めて訪れましたが、そんな若い感性にもこの観音様の慈愛に満ちたお姿は十分こたえてくれた思い出があります。ましてや、年をとってからはいうまでもありません。
ところが、です。
残念きわまりないのが、この仏さんはコンクリート作りの建物のなかで、それもガラスに守られてまつってあるのです。せめてガラスをはずしてほしい。触れたいということではなく、同じ空気の中にいたい、と思うのです。
たぶん保存上はこうしたほうが良いのでしょう。
でも寂しいなあ。
日光菩薩と月光菩薩のお二人が、こんなところに押し込められませんように。
合掌
東大寺の三月堂(法華堂)が、須弥壇修復をおこなうこととなり、それを機会に、中の仏像の修復作業にもはいることになったと、ニュースで聞きました。
それは良いのですが、さて修理が終了した仏像のいくつか、特に日光菩薩と月光菩薩がこの際三月堂を出て、他の保管場所に移されると言うのです。こちらはショックです。
私は東大寺に年に一度くらいの割合で訪れるのですが、たいてい大仏殿は通り過ぎてこの三月堂に直行します。お堂の床にべたっと座り込み、はたまた後ろの壁によりかかってぼんやりするのが好きです。まずはど真ん中の不空羂索観音立像ですが、これが実にいい。堂々として慈悲深く、見飽きません。それから、ゆっくりと堂内を見渡すのですが、四天王、吉祥天などとならんでひときわ目立つのが日光菩薩と月光菩薩。色白な塑像ですからよけい目立つのかもしれませんが、とにかく美しい。
で、この塑像と四天王を見ていると、かならず、「ああ、やっぱり戒壇堂の四天王(こちらもまた塑像です)にも会っていこう」となって、お堂を出る。大仏殿の裏側の、これまたゆるゆるとした小道を通って戒壇堂までを散策するのです。幸せな時間です。
たしかに三月堂の中は狭い。ぎっしりと仏像が並んでいる感がある。でも、ここをでてお二人はどこに行くのでしょうか。コンクリートの宝物殿なのでしょうか? 少々狭くても、穏やかな顔でならんでおられるのだから良いのではとも思うけど。
これから、ちょっと寂しくなるなぁ。
まだ真央ちゃんを引きずっています。
なんで審判の評価でスポーツの勝敗が決まるのでしょうか。
ヨーイ、ドンでスタートして、早いものが勝ち! ていうのは、ほんとにすっきりしていて良いですね。どっちが高いか、どっちが遠くか、誰が一番重いものを持ち上げるのか。・・・
それに対して、審判が「難易度」を判定したり、技術点をつけたりする場合は、結果にすっきり感が残らないことが多いですね。さらに「美しさ」とかさらには「表現力」なんて言い出したら、完全に好き嫌いの世界です。
もうひとつ大事なのは、先入観でしょう。
A選手はいつも世界大会で優勝しているから、今回も上手に違いない。
B選手は△△国の選手だし、あまり名前を聞いたことがないから、うまいわけがない。
といった先入観。これ、絶対にあると思います。
フィギュアスケートに限らず、スキーやモーグルのジャンプの飛型点やスノーボードの技術点。冬の競技に限らなければ、体操、新体操、水泳の飛び込み、シンクロナイズドスイミング、などなど。
だから、あんまり好きな競技ではないですね。
やっぱり一番すっきりさせてくれるのは、ウサイン・ボルト君でしょう!
先日バイアスロンのことを書きました。
ついでにいうと、こちらは夏のオリンピックですが、好きな競技は十種競技。これもすごい。こちらには「静と動」という組み合わせはないので、バイアスロンよりはちょっと落ちますが、まあとにかくすごい。走って(ダッシュと持久)投げて跳んで、という10種類の競技を2日かけてやるのです。
DEC(10)+ATHLON(競技) ⇒Decathlon デカスロン と言います。
最近は徐々に増えているのではないでしょうか。スキージャンプと距離の複合。アルペンスキーの回転と滑降の複合。
まあ、私自身はあまり興味がわきませんが。
いまさら、同じように2種の競技を組み合わせても、Bi(2)+Athlon(競技)=BIATHLONの名前を持つのは、距離スキーとライフル射撃の組み合わせだけですから。
真央ちゃんのことを忘れてしまわないうちに。
ショートプラグラムの曲は『仮面舞踏会』(ハチャトゥリアン)、フリーの際の曲は『鐘』(ラフマニノフ)でした。どっちもパッとしない曲でしたね。
誤解してはいけません。私は特に『鐘』は好きな曲のひとつ(というか、ラフマニノフが大好きなので)でして、曲がきらいなわけでは決してありません。フィギュアスケートにこの曲を採用するのはどうでしょうか、と言いたいのです。
一言でいうと、「陰気」なのです。盛り上がれないのです。
おなじラフマニノフでももっとふさわしい曲はいっぱいあるのに。
で、私見なのですが。
これはあくまでもスポーツであり、技術中心に評価されるべきものです。そのときに流れる曲は絶対に「みんな(主に審判)の耳になじんだ曲」であり、また「みんな(主に観客)の心がうきうきするような曲」であるべきなのです。
耳慣れない曲だと、審判の神経のある部分は無意識のうちに音楽にとられるのではないでしょうか。演技そのものへの集中度が薄れ、印象度が薄くなるのではないでしょうか。
楽しい曲、みんなの心が浮き立つ曲ですべると、観客の息遣いや歓声、ため息、拍手などが審判の好印象にさらに上積みを与えるでしょう。
安藤美姫さんがショートプラグラムでモーツァルトの「レクイエム」を使いました。
私は日本人でキリスト信者でもありませんから想像だけで話しますが、ヨーロッパ系の人たちは、競技の場でこの曲(鎮魂歌)を聞かされて違和感を持つのではないかと思ってしまいます。
もうちょっと審判や観客のことを考えて選曲した方が良いのではないでしょうか。しょせん、音楽は『従』なのですから。

