美と宗教
ここ何日か仏像のことに触れました。
私は仏像がすべて好きかと問われると、答えは「否」。
これは仏を愛する人にとっては心外な言葉かもしれません。つまり、仏像そのものが信仰の対象ではないかもしれないが、それを拝むことによってその向こうの仏様と対話をするわけで、嫌いなどということはありえないでしょう。
まあ、私も「この仏像はどうしてもイヤ」という印象を持ったことはこれまでに無いとは思いますが、それでもとにかく、信仰の対象ではなく、「美」の対象として眺めていることは確かです。
キリスト教の教会でもそんな経験はあります。もちろんカトリック系の教会においてですが、たとえばバチカンのサン・ピエトロ大聖堂の「美術品」は世界でも超一級品と言って良いのでしょうね。ため息がでるばかりでした。
一方、運慶や快慶、ミケランジェロたちはどんな気持ちでこれらを製作したのでしょうか。
深く深く仏様を愛し、あるいは神を愛したうえで、その愛の実現のために自分の能力をたかめ能力を使ったのでしょうか。そう思いたいけれども、もしかして、やはり自分の美の追求の発現の場として宗教を利用したのかもしれませんね。(もちろん、お寺や教会もその美術品をネタに信者を増やせたでしょうが。)
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