炎に癒される、ということ

最近ときどき私どものお客様からお聞きするのが、『暖炉』とか『薪ストーブ』というもの、それも薪を燃やす本格的なものを新築のうちに設置する、という話です。

一昔前は暖炉といっても完全に飾りであったり、あるいはせいぜい電気をつかったものとかでしたが、なんとそれが今は実際に火を燃やすというのです。では、なぜそんな面倒なことをするのか、というと、それを使ってお料理が出来たりするといったような実用的な利点を理由にされる場合もあるけれども、なにより『炎』を直接見ると『いやされる』というのが大きな理由だそうですね。

掃除もたいへんだろうし、薪にかかる費用も馬鹿にならない、もちろんきちんと煙突まで用意しないといけないから、本当に大きな決断だと思うのですが、それなりの見返りがあるようですね。

太古の昔に人類は火を手に入れました。これにより人は安全を確保し、調理法をあみだし、そして照明器具を手に入れたわけです。炎を見ながら人は『安心』を手に入れ、それを何万年も続けたおかげでそれはDNAにも織り込まれたものになったでしょう。

そして、いま私たちが『炎』を見たときに、そこから「明るさ」だけではなく、「安心感」とか「やすらぎ」を伴う感情を手にすることができるわけです。同じような明るさがあっても、太陽とは少し異なるものでしょう。

私たちが扱う照明器具も、その炎の系譜を継ぐものと言えます。

照明器具を見たとき、あるいはその照明器具のもので『癒される』と言ってもらえるのが理想です。

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